中国本部への赴任6
欧州のメーカーをM&Aし、しばらくすると自社で生産していた製品の一部を子のメーカー(E社と呼びます)の中国の生産拠点で生産を始める事になりました。
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主な理由は、E社の中国工場の生産能力に余力があり損益上良くない状況だったことがこの理由です。この製品を生産していた日本の工場のシステム担当者は海外勤務の経験もなく、私に白羽の矢が立ち、やらざるを得ない状況になってしまいました。
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E社で生産しても、自社ブランドと販売するため、品質基準は自社基準にしなければなりません。品質保証部門の方と移管責任者の方がこの工場に来られましたが、ITの事まで考えが及ぶわけもなく、私は工場の皆さんと一緒に協働でテーマを進める事になりました。
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原材料は日本の工場に発注してもらい、一部の部材は現地調達しながら製品にし、それを自社の中国や日本の販売拠点に納入する商流です。
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生産システム自体はE社独自のSAPで行ってもらう事にしました。私はE社と自社の受発注の為のデータのインターフェースや納入時の納品書、各拠点から製品を発注する際の運用ルールなどSAP以外の周辺のサポートに徹する事にしました。
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SAPと自社のレガシーシステムとの連携の為に、SAP側で自社固有のデータフォーマット形式のデータを作成してもらったり、製品に貼る自社標準のラベルや納品書をSAPで作成してもらったり、欧州E社のIT部門と何度も協議を重ねました。
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元々、E社の稼働率を上げる事が目的なのでE社のIT部門も協力的で半年近くはかかりましたが何とか形にすることができました。
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E社の工場で初めて出来た製品を出荷する際はみんなで製品を囲んで記念写真を撮った事をよく覚えています。自社に問題なく納入出来たと聞いた時は本当に嬉しかったですね。
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何しろ、誰もやったことがない仕事ですから。。
何故か私はこんな新しいテーマに取り組む事がとても多かったですね。
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できる自信もない事を走りながら考え行動し形にしていく。。
いつの間にかこれが私のビジネススタイルになっていました。
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2025年12月10日

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